三途の川

29. フクヲのその後

血流障害による左足の壊死が感染症を起こし、治療法はもう切断しかないと診断されました。
足を切断しなければ、ほぼ間違いなく感染症で死んでしまうということです。
切断すれば、助かる可能性が高くなりますが、逆に手術で死ぬ可能性が25%もあるということです。
フクヲ本人は、「もう十分生きたし、我が人生に悔いはなし」で、手術をしたくないという希望で、母も伯父も、もうこれ以上辛い思い(手術そのもの、手術後の痛みなど)をさせたくないということで、あとはなるべく苦しまないで逝かせてあげたいという希望でした。
そうして、10月7日に夫の勤める病院に転院させてもらいました。
この病院は、場所的に母も伯父もお見舞いに通いやすいということもありますが、夫に最期まで診てもらえるということと、看護師さん・看護助手さん達がとてもよくしてくれるので、転院できて少し気が楽になりました。

転院した日と、その次の日の2日間はとても状態が悪く、体の具合がよくない祖母久子もホームからお見舞いに駆けつけ、みんなで涙で語り合ったそうです。
転院3日目の朝には、危篤状態に近いということで、夫から連絡があり、母経由で伯父から親戚一同に連絡が回りました。

ところが、その日の午後、病院に行ってみると、祖父は少し背を起こしたベッドにもたれかかって、母や伯父とニコニコ会話をしていたのです。
前日まであった熱も下がり、出が悪かったおしっこも出るようになり、下がっていた血圧も上がっていました。
そして、なんと「酒が飲みたい」と言い出したのでした。
入院患者は普通お酒は飲めませんが、夫が飲ませてもいいと言ってくれたので、伯父が日本酒を買って来て飲ませてみました。
口内炎のひどいのができたいたせいもあり、祖父は「味がしない」と言って、一口で終わりました。
それでも、形だけでもお酒が飲めて、とてもよかったと思いました。

絶食も解除してくれたので、伯父が買って来たウニを一口食べ、夕食も出してもらうことになりました。
その夕食時、食事介助をしてくれる看護師さんに、祖父はなんと、「酒はないのか?」と言ったそうです。
看護師さんが、「さっき飲んだでしょう?」と言うと、祖父は、「あれはご飯前だったから、あれだけ(一口)でやめたんだ。もっと酒が飲みたい…」と言ったそうです。
困った看護師さんが当直の夫に連絡して、飲んでもよいと許可をもらいました。

その話を聞いて、笑ってしまいました。
さすが、わが祖父フクヲです
そして、その後も毎晩お酒を飲んでいるようです。(病院なのに…)

その後も状態は安定して、転院4日目には、「危篤」の連絡を受けて道内と本州から駆けつけた親戚一同(私の従姉兄妹、伯母、その母たち)とも笑顔で面談することができました。

元気になった祖父を見て、みんな喜んでいました。

一時は危篤の状態までになったのが、驚異の回復力で復活しました。
祖父のことなので、なんとなくこうなるのではないかとも思っていましたが…。
この病院に転院できて、本当によかったと思います。

夫によると、「今のところ落ち着いてはいるが、もともとの状態が悪いので、今後も予断を許さない」とのことでした。
でも、ここまで来たら、後は何があっても驚かないし、受け入れる覚悟はできています。
家族としても悔いはありません。

ちなみに祖父は「三途の川を見てきた」そうです

床頭台の上には、義弟(KEN五島)が羽幌町郷土資料館から特別に借りてきた、当時祖父が実際に使用していたヘルメットと、たくさんの炭鉱の写真が置かれていました。

孫のマメコ記す

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コメント

  1. nabesan より:

    もちなおされたようでとりあえずよかったですね。病院で酒をねだるなんてさすがはフクヲさんです。炭坑マンのたくましさを感じます。おだやかな日々を送られますように。

  2. akari より:

    よかったですね。ほっとしました。

  3. マメコ より:

    ☆なべさんへ
    前回のなべさんのコメントにもあったように、祖父は頑張ってねばってくれました!今は毎日お酒をのんでいるようです。
    残り少ない時間、祖父の好きなようにさせてあげようと思っています。

    ☆akariさんへ
    心配して見て下さって本当にありがとうございます。
    今は本人家族ともに少し穏やかな気持ちで過ごす事が出来ています。

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