フクヲ逝く

29. フクヲのその後

久しぶりの投稿になりますが、残念なお知らせです。

本日2010年8月26日、午前8時00分、祖父フクヲは天国へと旅立ちました。

ここ数ヶ月、とても落ち着いた状態が続いていたのですが、3日前から何となく調子が悪く、2日前には発熱が見られ、肺炎と診断され、治療を受けていました。
持病の喘息の悪化もあって、昨日から呼吸状態が悪化していました。
看護師さんによると、今朝7時過ぎまで、会話ができる状態だったそうてすが、その後急変したとのことです。
眠るような最期だったとのことです。

肺炎は、今までも何回か繰り返していて、そのたびに治療を受けては復活していたので、今回も期待していたのですが、その願いもかなわず、とうとう力尽きてしまいました。

若い頃はタンパラ(短腹…気が短いこと)だった祖父も、入院してからは、すっかりおとなしくなり、天然ボケ(注:認知症はありませんでした)のユニークな発言で、看護師さんたちを笑わせ、病棟の人気者になっていました。
いつしか、祖父の病室は、看護師さんたちの「癒し部屋」になっていたといいます。

亡くなった時は、朝の申し送りの時間帯だったのですが、たくさんの看護師さんが入れ代わり立ち代わり祖父の元を訪れ、声をかけたり、顔をなでたりして、別れを惜しんでいたそうです。
皆さん、今まで本当にありがとうございました。

また、昨年の11月以降、ブログを更新していなかったのにもかかわらず、毎日数名の方々が訪問してくださいました。
今まで、祖父を応援してくださり、本当にありがとうございました。

祖父フクヲは亡くなりましたが、祖父の生きた証として、このブログ※注は消さずに残して置きたいと思います。

おじいちゃん、本当に今までありがとう

孫のマメコ記す

 

※注:旧ブログのことです。

 

管理人マメコの夫より

みなさん、今までご愛読ありがとうございました。
これまで、ブログ中に登場する人物の名前は、個人が特定できないよう、カタカナや伏せ字、イニシャル等にしていましたが、フクヲ自身が亡くなり、また登場人物のほとんどが故人となっていること、マメコの許可が出たことから、今後は実名に戻して掲載し直そうと思っています。
(完成はいつになるかわかりませんが…)
激動の時代を生き抜いたフクヲ(本名「野中福男」)の生涯を、もう一度リアルに読み直していただけますと幸いです。

 

コメント

  1. nabesan より:

    野中福男様のご逝去を悼み、衷心よりお悔やみ申し上げます。
    このブログと出会った時は昭和史に興味があった頃で、とても貴重な記録として読ませていただきました。また初めからゆっくり拝見させていただきます。

  2. マメコ より:

    なべさんへ

    ご返事が遅くなり、申し訳ありません。

    今までブログをご愛読いただき、また、いつも祖父のことを応援してくださり、本当にありがとうございました。

    9月だというのに、とても暑い日が続きますが、どうぞ体調を崩されませんようお過ごしください。

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