国民党軍の労役 ~満州編6~

16. 満州での戦争経験
国民党軍
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國民党軍の使役に徴用される

それで國民党軍は、ハルピン在住の日本人に対して國民軍の労役に從事するよう日本人会に通達が出された。
その通達を受けた日本人会は、それをハルピン在住の難民に割り当てをし、私達が居住する拓銀社宅に対し1名の供出通知が来たのであった。
それを受けた拓銀支店長の野口氏は、この拓銀支店社宅の男性約100名に対し抽籤を行ったところ、私達が住む隣戸の渡辺という人に決ったのであった。
しかしその渡辺氏という人は年令40才位の奥さんと5才位の女の子の3人家族であったが、渡辺氏本人は頑来病弱な体質で長身ではあったが、青白い顔をした如何にも病身らしい人で、この軍の労役には不向きで、本人は勿論奥さんも、これには全く困り果てた様子であった。

私は隣り同志で始終この家族と顔を合わせ挨拶を交す程の知り合いになっており、渡辺氏や奥さんの困惑を充分承知していたので余りにも気の毒に思い、私は熊谷さんの奥さんを通じて、私が身代りを申し出たところ、渡辺氏家族は非常に喜び、その晩支店長の野口氏が私の処へわざわざ謝礼に来たのであった。

これで身代り労役の件は落着し、私は出発前日に渡辺氏の奥さんより餞別と、新品の作業用衣服を頂戴し、その外支店長宅に招待され、銀行幹部5、6人が揃って壮行会を催してくれて翌日私はハルピン駅に集合した同志約100人と共に松花江岸へ向って出発した。

列車が到着した処はハルピンより50K程離れた荘家という街で、ここに國民党軍と共産党軍が松花江を狹んで陣地を構築の眞最中であった。

私達一行は到着したその日から國民軍の使用する塹壕堀りの仕事であった。
そしてその翌日も塹壕堀りを続けた。
使役の労仂を2日続け、3日目の出勤命令が出るのを、テントの中で待っていたが仲々その命令が出ず、昼近くになりやっと、出た命令が、我々一行は作業を中止しハルピン帰還と云う命令で私達にとっては、拍子抜けの態であったが、とにかく指令通り、その日の夕方ハルピンへ帰ったが、それが早くも各所に伝へられてあったとみえて、私が拓銀社宅の前へ到着した時には居住者全員が門前に立並んで出迎へされたのには全くテレるより外仕方がなかった。
それから以後は、この拓銀社宅の居住者には私の顔が知られたとみえて、会えば必ず相手側から挨拶を受ける程になってしまった。

 

※注:写真出典「Twitter STKN@prprstkn」国民党軍は実際ドイツ式の装備でしたが

 

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