16. 満州での戦争経験

国民党軍の労役 ~満州編6~

國民党軍の使役に徴用される それで國民党軍は、ハルピン在住の日本人に対して國民軍の労役に從事するよう日本人会に通達が出された。 その通達を受けた日本人会は、それをハルピン在住の難民に割り当てをし、私達が居住する拓銀社宅に対し1名の供出通...
16. 満州での戦争経験

満州での商売(2) ~満州編5-2~

パン製造耺人となる その項、この店のジヤングイの弟で、同じ市内でパン製造をやっている人が時々この店へ来るようになっていた。 そして私達がセンベイを焼いている側に立って暫く、それを見ているようになったが、その内にジヤングイと話合ったとみえ...
16. 満州での戦争経験

満州での商売(1) ~満州編5-1~

餅売り商売を始める それで1日元居住していた白梅小学校の校宅を尋ねて見た。 今では小学校の教室は使用されておらず学校側にある5戸の校宅に夫々各地からの避難民が入居していたが、その内の校長宅の中の6帖2間は避難民の人達が入居して、4帖間一...
16. 満州での戦争経験

ソ連対日参戦(2) ~満州編4-2~

白梅小学校へ避難する やがて午前10時項白梅小学校から同僚の者2名が、明日ソ連軍が入城し、その結果、病院をも接収することになることを知り、私のためにマーチヨ(馬車)(※注1)を雇って迎へに来てくれ、白梅小学校の皆の元へ戻ることが出来た。 ...
16. 満州での戦争経験

ソ連対日参戦(1) ~満州編4-1~

ソ連軍の参戦 やがて我々在満邦人にとって運命の日が訪れた。 その前に私は一寸不思議に感じたことがあった。 それは、私が、このジヤライノールへ来た当時から、否それ以前からであったろうが、午前10時項になると、必ず日本陸軍の標識をつけた軍...
15. 転職:扎賚諾爾炭砿

扎賚諾爾炭砿(3) ~満州編3-3~

兄健治と2度目の面会 私がジヤライノールへ来てから早いもので昭和19年の10月となりこの西満の地は寒期に入いろうとしている項であったが、思いがけなく兄健治より面会に来てくれという軍事郵便が来た。 居所はチチハルであった。 私は朝鮮人石...
15. 転職:扎賚諾爾炭砿

扎賚諾爾炭砿(2) ~満州編3-2~

札來諾爾炭砿(株)社員となる (※注:ジャライノールは正しくは「扎賚諾爾」です。) 私達2人は教えられた1本道の道路をテクテク歩いて来ると、ようやく炭砿地区に入った。 この辺りは会社関係の建物から学校、病院、配給所、耺員住宅等、日...
15. 転職:扎賚諾爾炭砿

扎賚諾爾炭砿(1) ~満州編3-1~

札來諾爾(ジヤライノール)炭砿に転耺をする (※注:ジャライノールは正しくは「扎賚諾爾」です。) 古田氏が就耺を依頼した伊藤明治氏という人は年令30才位で夕張工業機械科出て布引坑で機電係の係員をしており、家族は60才を過ぎた老夫婦の...
14. 転勤:朝鮮人造石油

朝鮮人造石油(2) ~朝鮮編1-2~

二度目の帰郷 鮭漁見物から帰って来てから暫くして9月末に私は、すっかりこの砿業所の実態にあきれ返ると共に又例の飽き性頭をもたげ、仕事に対する意慾も失せ、気候も秋で幌内の事が思い出されて仕方がなく、私は1週間の休暇届けを出して幌内へ出発した...
14. 転勤:朝鮮人造石油

朝鮮人造石油(1) ~朝鮮編1-1~

朝鮮人造石油へ転勤となる 私はこの名遙鉱業所には昭和16年10月から18年5月まで勤務していたことになるが、その項、第2次大戦に突入した日本は緒戦ではジャワ、スマトラの南方を戦略し、まづ喉から手の出る程、慾っしていた油田を確保した...
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